


明日の10万円よりも今日の5万円が必要
日本財団は東日本大震災直後の2011年3月28日、緊急会議を開催。阪神・淡路大震災の際にある金融機関が封筒に1000円分のコインを入れ被災者に配り、大変役に立ったと被災者に好評であったことから、現金を被災者に手渡すことを検討した。
会議では「現金をどのように被災者に渡すのか」「悪質な人間が来た時にどう対処するか」など議論になったが、「明日の10万円よりも今日の5万円の方が被災者にとっては必要。被災自治体には負担や迷惑がかからないように日本財団はじめボートレース業界挙げて実行しよう」という結論を得て、弔慰金・見舞金を支給することが決定した。
翌29日には支給について被災者の方たちに周知するため、緊急記者会見を開催し、東日本大震災による死者・行方不明者の家族に対して一人当たり5万円の弔慰金・見舞金を贈ることなどを盛り込んだ緊急支援を実施することを発表した。会長の笹川陽平は「過酷な暮らしを続ける人たちへの支援を一日でも早く始めるのが民間の責務だ」と述べた。
日本財団の責任のもと単独で速やかに行動
この支給事業は透明性を確保し、公平性を担保する必要があった。透明性は地元行政が保持する名簿を入手し、名簿に応じて支給すれば問題ないが、緊急時なので申請者の身分確認や添付書類をいかに最小限に留めるかが課題だった。公平性の担保は、時間をかけて支給を継続することにより後日に公平性を調整することで可能であると判断した。
すぐに実行に移すため、3月31日から被災自治体を訪問し、支給への説明にあたった。石巻の亀山紘市長と面談すると、最も被害の大きい石巻の職員は3分の1近くが死亡・行方不明で、協力要請は難しい状況とのことだった。そこで、日本財団が全責任を持って実行することを約束し、死者・行方不明者の名簿の提供をしてもらうこととなった。
気仙沼市では国からの義援金に上乗せして支給したい旨の要請があったが、国からの資金がいつになるのか見えない状況もあり、日本財団の責任のもと単独で速やかに行うことを伝え理解を得た。
また大量の現金を用意する必要があったため複数の金融機関に相談するが、被災地の支店自体が被災し、支店業務自体も混乱していることから、現地支店で現金を引き出すことは断念した。日本財団と取引のある銀行に現金を用意してもらうことになった。ただ、現金を財団まで運んでもらえるわけではなかったので、億単位の現金を大型スーツケースに入れて警備員もつけずに若手職員の護衛のみで運んだ。
支給は4日に石巻から開始することとなった。4月2日時点の新聞報道では、石巻市の死亡者数2341人、行方不明者数2698人であった。単純計算で5000人×5万円とすれば最大2億5000万円の現金が必要となる。第1弾として封筒5000セットを用意し、2億5000万円の現金を段ボールに入れて、チャーターしたバスに積み込んだ。
対象者に速やかに、正確に配れるかも課題であった。死亡者のデータは、県警が公表しているものの、居住地までは特定できない。宮城県下の全データを石巻に持ち込んだとしても、照合作業は非常に手間を取る。行方不明者はそもそも正確なデータがない。日々更新されるデータは、持ち込んだリストに反映しきれないというタイムラグの問題もある。前日の現地での議論は深夜にまで及んだ。
91.5%の遺族の方に弔慰金・見舞金を配布できた
こうした苦労や試行錯誤を重ねた結果、4月4日からの3日間で、石巻市役所、湊小学校、女川町役場などでの配付は約3100件、支給額は1億5000万円を超えた。
4~5月には、気仙沼、陸前高田、釜石、大船渡、花巻各市など、多くの避難所などでも弔慰金・見舞金を配付。6月末までに、死亡者・行方不明者を確認できた84自治体のすべてで実施し、合計1万4861件で7億4305万円を遺族に届けた。
その後も、日本財団復興支援コールセンターなどで手続きを続行し、2012年3月末まで受け付けを続けた。その結果、警察庁発表の東日本大震災による死者・行方不明者1万8940名のうち1万7329件に弔慰金・見舞金を配付することができた。
プロジェクトデータ
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- 事業名
- 遺族・親族に対する弔慰金・見舞金の支給
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- 実施団体
- 日本財団(自主事業)
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- 期間
- 2011年4月4日配付開始。2012年3月30日受付終了
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- 場所
- 死亡者・行方不明者を確認できた84自治体全てで実施
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- 拠出総額
- 8億6645万円(2012年3月31日時点)